
FOOT ARTIST
JUN
JUNが切り拓くFOOT ART(フットアート)の世界
「サッカーの写真」と聞いてほとんどの人が頭に思い浮かべるのは、スタジアムのピッチで選手を撮影したスポーツグラフィックだろう。だが、JUNが撮影するサッカーの写真は違う。被写体は砂浜や街角でボールを蹴る無名のプレイヤーの姿。そう、それはボールを蹴る瞬間に宿る永遠を切り取った「FOOT ART(フットアート)」なのだ。

湘南の熱狂的な蹴球一家に生まれて
祖父、父、自身と三代続く蹴球一家にJUNは生まれた。1歳の誕生日に父から贈られたプレゼントはサッカーボール。84歳で他界した祖父の棺には花とともにサッカーボールが収められたという。
小学生の頃は父親の仕事の関係で2度の転校を経験。相模原から千葉の船橋、平塚。いずれもサッカーの盛んな土地だ。転校のたびに所属するチームも変わったが、サッカーのおかげでいつも周りには友達がいた。
中学、高校時代はクラブチームに所属。専門学校へ進学した後も毎日のように仲間と集まり、ボールを蹴った。
その後、就職して結婚。子供を授かる。この時期、生まれて初めて、サッカーの世界から距離を置く。家族を養うために懸命に働いた。
この頃、2つのカルチャーと出会った。ひとつはサーフィン。競技としての奥深さもさることながら、サーフカルチャーを背景に持つファッションや音楽に強く惹かれた。
もうひとつは写真。サーフィンフォトグラファーとして活躍するU-SKE氏のギャラリーを訪れた際、大きな衝撃を受けた。一枚の写真がサッカーのスター選手のプレーのように人を魅了し、感動させる力を持っていることを知ったのだ。一眼レフを購入し、独学で写真の勉強を始めた。ただ、技術は習得していったものの、心がときめくような被写体が見つからない。風景や子供の写真を撮りながら、どこか心にしっくりこないものを感じていた。
そんな日々を送っていた頃、生活にサッカーが戻ってきた。幼なじみにフットサルチームに誘われたのだ。仲間と夜のコートに集まり、夢中でボールを蹴りながら、あらためて思った。
『やっぱり俺にはサッカーしかない』
こうしてアートと写真、そしてフットボールという3つのピースが揃った。おぼろげながら、作品のテーマが見えてきた。
サーフカルチャーが誕生のヒントに
ある日、高校生の頃、よく一緒に遊んだ友達のことを思い出した。その友達の家は地元でも知られたサーファー一家で自宅に遊びに行くと、玄関やリビングなどいたるところにサーフィンの写真やポスターが飾られていた。そんなサーフアートがJUNの目にまぶしく映ったものだった。
そのとき、心の中にある疑問が浮かぶ。
「なぜ、同じスポーツなのに、サッカーにはアートが存在しないんだろう?」
サッカーファンの家には優勝トロフィーやチームメイトが肩を組んだ記念写真が飾られていることはあるが、サーフィンのようなアートはまず目にしない。
――なければ、自分がカルチャーを創ればいい。
2011年、「FOOT BALL(フットボール)」と「ART(アート)」を融合させたカルチャー、「FOOT ART(フットアート)」はこうして産声を上げた。
撮影するのはボールを蹴るフットボーラーの姿。ただし、フットボーラーはシルエットで表現するのがJUNの作法だ。
表情や服装は、どうしても写真が撮影された時代を物語ってしまう。その点、シルエットなら、5年、10年とどれだけ時間が経過しても、見る者に時代を感じさせない。その人が持つ本質的な存在感を影絵のように永遠に映し続けることができるのだ。
作品の舞台となるのは、自身が住む湘南の海岸や旅先。被写体となるフットボーラーは、サッカーやフットサルの選手のこともあるし、友達や地元の子供たちのこともある。夜明けや夕焼けに染まった空と海をバックに浮かび上がるシルエットは幻想的ですらある。



ブラジルで見つけた、サッカーとともにある人生
FOOT ARTの立ち上げから1年経った2012年の元日に、ひとつの目標を掲げた。「サッカー王国、ブラジルの地を踏むこと」。
旅の資金は作品を売って捻出する。この日からブラジルへ行くまでのストーリーをブログでつづり始めた。
その夢を知った友人や知り合いがこぞって、作品を購入してくれた。こうして2013年、ブラジル行きの夢を叶えた。
旅はFOOT ARTISTの感性を強烈に刺激した。もっとも心を打たれたのは、ブラジルの人々とサッカーとの距離。彼らにとってサッカーは特別なものではなく、生活の中に自然に溶け込んでいた。子供も老人も、毎日ボールを蹴っていた。
日本では高校や大学での部活から引退すると、そこでサッカーが終わってしまう場合が少なくない。一方、ブラジルでは、文字通り人生とともにサッカーがあるのだ。
日本でも、サッカーがこうした存在になってほしい、とJUNは思った。



エネルギーの源は、サッカーへの感謝の心
帰国後の2013年に初めて鎌倉で個展を開催した。この年1回の個展はライフワークとして毎年続けている。
縁あって、2015年にはタイで個展を開催し、好評を博した。作品を見た若い男性が目を輝かせながら言ってくれた「ナイス!」という言葉が忘れられない。サッカーは国境を越えることを確信した。
FOOT ARTISTの活動を始めてから10年あまり、活動をサポートしてくれる人は増え続け、その中にはプロのサッカーやフットサル選手も。JUNが着用するウェアもフットサルブランドの「LUZ e SOMBRA(ルースイソンブラ)」から提供されたもの。FOOT ARTが紡ぐ輪はサッカー界に着実に広がりつつある。
JUNは40歳を過ぎてから、ときどき「自分にとってサッカーとは何か?」と考えるようになった。この問いを考えたとき、ブラジルで出会ったひとりの老人の言葉を思い出す。
リオデジャネイロのエスタジオ・ド・マラカナンの見学ツアーに参加した時、ゆうに80歳をこえていそうな白髪の老人と同じグループになった。ブラジル代表のユニフォームを着たその老人は、ツアーの間中ずっと目をきらきら輝かせて、子供のようにはしゃいでいた。その姿を見て、『この人はなんてサッカーが好きなんだろう!』と胸が熱くなった。


サッカーがJUNの人生にもたらしたもの
別れ際、「あなたにとってサッカーって何ですか?」と老人に聞いてみた。すると特に考えることもなく、ひと言、「健康だ」と答えたという。
JUNは思わず唸った。たしかに、サッカーというスポーツをすれば、心身を鍛えらることができるし、仲間やコミュニティともつながることができる。老人のいう健康とは、「生きる活力の源」といった意味だろう。
「自分にとってサッカーとは何か?」
JUNはまだはっきりとした答えを出せていないが、ひとつだけたしかなことは、言葉では言い表せないくらいサッカーに感謝しているということ。なぜなら、サッカーを通じて、かけがえのない仲間たちと出会うことができたから。
サッカーとフットボーラーをつなぎ続ける絆でありたい。
FOOT ARTの作品には、サッカーに対するJUNの感謝と祈りが込められているのだ。