
なかじま ひさこ
藤沢駅から江ノ電に揺られること15分。
腰越駅に到着。ICカードをタッチする機械はあるが、改札はなく、駅員さんもいたりいなかったり。江ノ電が唯一路面電車になる港町というだけあって電車が本当に近い。潮風が街全体を包んでいて、海がすぐに見えなくても海を感じることができる。
すぐそばに流れる川を渡ると手作りのベーコンやコロッケなどが人気のお肉屋さん、その先には腰越漁港直送のお魚屋さん、その先には地元民に愛されるスーパーヤオミネがある。

ひさ子さんは、初めてこの街に遊びにきたときに一目ぼれ、夫であるポン太さんと一緒に移り住んできた腰越愛あふれる女性。
「海街ダイアリーってあるじゃないですか。それで、腰越ちょっと行ってみようよってなったんですよ。最初、江ノ電でサーって通った時に、お肉屋さんがあって、ヤオミネがあって、なんかいいなって思ったんです。それで歩いてみたら、突き当たりに海があって、江ノ島があって。なんかいいね、引っ越してきたいねって試しに検索したら、たまたま部屋が見つかって。3日後くらいに内見に行って、床下収納があって、今作っているものが全て収まるっていうのがわかって決めました。1カ月後には引っ越してましたね。とにかく腰越がすごく好きなの」

お部屋の決め手は、趣味で作っているお味噌や梅干しがしまえる床下収納があったからだったというエピソードから、ひさ子さんのお人柄が伝わってくる。即断即決で移住し、その年に作り始めた腰越まち歩きマップもまずは作ってみよう!と動き出したよう。
「とにかく腰越が好き好きって言ってたら、腰越の有志が始めたイベント“腰越ぶらり呑み歩き”のお手伝いをすることになり、腰越のマップみたいなのがあったらいいよねって話になって、じゃあ作るよって。イベント主催者の一人だった食堂のオーナーさんがイラストデザインをしてくれる。じゃあ私がお店に取材にまわるよって。その時に見本の地図として作ったのが、本当にどうしようかなっていうハリボテで恥ずかしかったんですが。こんな感じで作りたいんですって言ってとにかくお店をまわったの」
ちなみに“腰越ぶらり呑み歩き”、通称“ぶら呑み”は腰越で行われる呑み歩きイベント。1チケットで腰越エリアの居酒屋3店舗、それぞれ1ドリンク1フードを楽しめます。(コロナ禍で現在イベントはお休み中)マップの制作費は今は自費だが、当初は広告枠を1,000-3,000円でお店の協力をお願いしてまわったそう。もちろん無料枠もあったが、話を聞くと協力的な方も多く、集まった約20,000円を印刷代にできた。取材がきてくれたり、ラジオにも出たりと意外に反響が大きかったようだが、それよりも作った時の地元の人の反応に驚いたとのこと。
「元々住んでいた人たちが、腰越ってこんなにお店あるんだ!って腰越再発見として驚いてくれた。77件もある!って。腰越に住んでいる人、これから住みたい人向けに作りたいなというのがあったから、それは本当によかったなって思う」

確かにここ2年で本当にお店が増えた。
その後、ちょうど3年前のゴールデンウィークからラジオ体操をはじめたが、理由は友達のためだった。
「ちょうど4月くらいに友人のお母さんが、家からあんまり外に出なくなって元気がなくなっちゃったと聞いたんですよね。その友人が、近所にラジオ体操の会があってたら、気分転換にもなるし体力維持にもいいからやってほしいんだよね」って言ったんです。私みたいな性格は、“やればいいじゃん”て言ってしまうんだけど、友人はそういう性格ではなくて。じゃあ私やるよ!って言っちゃったんです・・・笑」
やる!といったもののどうしようと、とりあえず近所のお掃除会にも相談などをして、1カ月後には始めていた。その行動力は本当に見習うべきところばかり。マップ作りの順調な滑り出しをお聞きすると、ラジオ体操もすぐに地域のみなさんに受け入れられたのかなと思いきや、今回ばかりは1人でやるには苦労もあったようで・・・。
「当時、You Tubeのフラッシュモブにはまっていて、ラジオ体操をやり始めたらきっとみんなやってくれるって思っていたら、全然やってくれないの。笑 そもそも朝の7:30に海岸に人がいない。犬の散歩してる人しかいない。みんな何やってんのって通り過ぎて行って 笑」

「参加者0人とか1人しか来ないっていう期間、一人でラジオ体操していて、こいつ怪しいなっていう状態が2~3か月続いた。一度、すごいいっぱい人がいて、やったーたくさん来てくれたと思って寄って行ったら、高校生の卒業記念写真を撮っていたことがあって 笑」
それでもやるって決めたからやるんだと決めて続けたそう。そのうち、最初に相談をしてくれた友人のお母さんも参加してくれるようになった。
その後コロナ禍で一旦中断したあと、再開。その際に、スタンプ制度を導入した。最初は、ひさ子さん自身が資格を持っているマッサージを10個たまった方にプレゼントしていたが、腰越の個人経営の店主の皆様から次々に申し出がくるように。地元のカフェやバーなどにご協力いただいて、ワンドリンクサービスやスーパーのドリンクボトル一本サービス、さらには昨年夏に腰越に越してきた書家さんが1文字書きます!というユニークな特典まで広がった。

「なにかやり始めたらとにかく1年はやろうと思っているんです。昔から。特にラジオ体操は一年やらなければ定着しないし、とりあえず一年続けてみようと」
ラジオ体操は7:30という時間を一貫しているそう。理由は一年を通して必ず太陽が昇っている時間だから。今では海岸でやる日は10人ほど、公園でやる日は20人ほどが集まってくれる。
「お母さんたちで、長く住んでいるのにあまり顔を合わせない人もいたけど、色々なサービスチケットをもらうとなると、1人で行きづらい、じゃあみんなで行こうってなってつながりができたよって話を聞くとやっていてよかったなと思いますよ。で、そうすると海岸で花火やりますってときとか、マップ作ったから折ってくださいとか、手伝ってもらえたりできるようになったのがすごい嬉しくて」

ひさ子さんの話を聞いていると、いつも誰かのために動いている。ただ、続けることの大変さがそこにはあり、そのエネルギーはどこから出てくるんだろうと不思議に思う。そこには決して忘れられない、ひとつの出会いがあった。
「以前趣味でベリーダンスを習っていたときに、同じクラスにステージVIのがんで余命は長くないと宣告されたプロダンサーの友人がいたんですよ。とても情熱的で明るくて、深刻な病気であることが信じられないくらいパワフルな友人でした。スクールの仲間みんなが彼女から生きるエネルギーをもらっていました。彼女からは、次の約束はできないっていつも言われていたんだけど、そこから4年生きたんです。最後のやりとりが “なかじがんばれ” っていう言葉でした。私たちは彼女が生きられなかった今を生きている。ちゃんと生きなきゃって思ったんですよ。だからこそ、彼女の遺志を繋いでいかなきゃいけないと思ったっていうのはあります。彼女の遺志を受け継いだスクールのメンバーがそれぞれの場所で頑張っているから、私も頑張らなくちゃって」
人と人のつながりをとても大切にしているひさ子さん。きっと、本当の仲間がなんなのかを肌で感じてきたからできる気遣いなんだろうなと話を聞いていて思った。
そんなひさ子さんだが、昨年から新しいことをまた始めたいと言う。そのひとつが浜キャンドル。初めて実施したのは2020年9月、夏の終わりに小さな花火大会と一緒に。

「最終的に腰越の観光の一つしたい。おばあちゃんとかが、この日に花火やるから遊びにおいでって、東京にいるお孫さんを呼べるようなイベントにしたいなって。それくらい生活に浸透したイベントにしたい」
理想は熱海の花火。いつ行っても花火が見られる場所。
「何回かやると飽きられちゃうよって言われるんだけど、飽きられてもいい。飽きられるくらいがいい。マンネリ化って大事なのよっていう話をしています。助成金をもらって行う地域イベントも多いが、私は自分たちで生み出したお金で回していきたい。回すっていう言い方が合っているのかどうかわからないけれど、 “お金も回すし、気持ちも回す” 今はこれを目指して活動を続けているの」

「腰越限定の御朱印帳も作っていて。腰越のお母さんたちが集まって製本したり、飾りの水引を作ったり。デザインは腰越エリアで活動をしているイラストレーターのかおかおパンダさんとONEKAMAKURAの修平さんがコラボで作ってくださっています。今年の浜キャンドルと花火大会は御朱印帳の販売収益で開催します」
GW前に無事完成した150部がなんと全て完売。現在、絶賛増刷中です!!
ひさこさんに、どんな応援が欲しいですか?と聞いたところ、
「なにもいらないなぁ。ただ本当に、来て欲しい!腰越に遊びに来てくれれば嬉しいです」
ただ純粋に「好きだから」という気持ちがあるだけ。
だからこそ、みんなが応援したくなるし、まっすぐ進むことができる。
こんな素敵な人生の先輩に会えたことがとても嬉しい。
ラジオ体操から始まったご縁はまだまだ広がり続けている。