北海道の雪景色から生まれた折り。和紙が灯す“光”を追求する「折りとデザイン」の挑戦。

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品田 美里(しなだ・みさと)

札幌出身・在住。
北海道で降る雪からインスピレーションを受けて、2013年より独学で紙を折りはじめる。
2016年よりホテルや銀行の特注照明シェードのデザイン制作をはじめる。
2017年から住宅用照明シェードのデザインやアート作品の制作など、活動の幅を広げている。
2017年12月、屋号をORITO(「折る人」という造語)とする。
2019年より国立大学法人 北海道教育大学 非常勤講師
 

 

 

ORITOとの出逢い

初めてORITOの存在を知ったのは、2017年の春のはじめ頃だった。
札幌の手稲(ていね)にあるORITOのアトリエに行った。連れて行ってくれたのは、北海道・倶知安町(くっちゃんちょう)を拠点にする大工で友人のひでさん。倶知安の幼稚園でともに仕事をしたことで、仲よくなったそうだ。
ひでさんのクルマに乗って、ORITOのアトリエに向かっていると、まだまだ寒い北海道の大きな空に雲が浮かんでいた。
……あの雲は何になるのかなあ? と助手席でつぶやくと、ひでさんが言った。
「紙になるんだよ!」
雲は雨となって森に降り、木が育ち、そして紙になる。

 

ORITOのアトリエ。(photo by  Kazutoshi Takeishi ※以降、記載ないものすべて)


ORITOは、和紙を使ってオリジナルの折りを加えたアクセサリーやモビール、ランプシェードなどを作っている。
ORITOを主宰するのは、アーティストの品田美里さん。祖父母が住んでいた家にすこし手を入れてアトリエとして使っているという。ランプシェードから和紙独特のやわらかい光がさす、心地よい場所だ。
品田さんがお茶を淹れてくれた。
……思えばこのときから、品田さんといえば「美味しいおやつ」というイメージがある。お気に入りの焼き菓子やお菓子をいつもふるまってくれるのだ。もちろん、作り手のエピソードを添えて。
品田さんに会うと、いつも美味しいお菓子がセットになっている気がする。


品田さんと話していると、目の前にしたモノたちの解像度がぐっと上がる。ひとつひとつを愛おしそうに、丁寧に大切に手渡して紹介してくれるからだ。
「うちの祖父は、なんでもとっておく人だったんです。物持ちがいいっていうのかな」
と、古いマッチ箱を見せてくれた。
「中には古い釘が入っていました。これを何十年かごしにたまたま見つけて、おじいちゃんから『まだ使えるよ』って言ってもらったような気持ちになりました。このアトリエにもあそこやここのフックは、このおじいちゃんが遺してくれたものを使っています」
「森永のミルクココア」の空き缶もおじいさんが遺したもの。中には日本が戦争中の硬貨が入っていた。


アトリエのあちこちを「ほう」とか「へー!」とか声を出しながら見学したのち、品田さんは実際に折りの作業を見せてくれた。
イヤリング・ピアスにするための細かい折りは、精密機械用の極細ピンセットを使う。何枚かの同じ折りを重ね合わせたり左右対称に置いたりして、独自のかたちが生まれていく。

手を動かしながら、品田さんは語る。自分には何ができるだろう? と模索していた20代。兵庫県・淡路島で暮らしていたこともあったそうだ。
「淡路島はアーティストや芸術家が少なくない島。一方で、一次産業に従事するひとも多いんですけど、お百姓さんや漁師さんたちも私はアーティストに見えたんです。野生の勘がものすごく発達していて、格好いいなって。私も野生の勘、復活させたい! って思ったんです」

品田さんは和紙に触れながら、折りが始まったときの話をしてくれた。
「言ってしまえば、淡路島で心破れてましたからね。しばらく落ち込んでいましたよ。でも北海道に戻って来て、久しぶりに見た雪景色に圧倒されてしまって。
新千歳空港に着陸する前、裸になった木々に降り積もる雪の景色を上空から見たとき、静かで美しい北海道の冬景色に、胸がいっぱいになりました。そのとき自分の中にあるものを全部外に出したいと思ったんです。雪を見て美しいと思った気持ちも、雪を見て気づいた自分の中にあるドロドロした感情も全部外に吐き出したくなったんです。
無性に手を動かしたくなって、私の場合は『紙を折る』行為だったんです。折り紙を無心になってひたすら直感的にその瞬間、瞬間で折りたいと思うほうへ折る。それを2週間、部屋にこもって朝から晩まで紙を折り続けて、ドロドロした胸の中に溜め込んだものが徐々に浄化されていく感覚がありました。雪を見ながら、冬の香りを嗅ぎながら、紙を折る行為は瞑想に近くて。自分を取り戻す作業だったんだと思います」


以前わたしは、「アール・ブリュット」という正規の教育を受けていないひとが始める表現活動・アートを追っていたことがある。品田さんの話を聞いて、そのときのことを思い出した。障害のあるひとや囚人だった人たちの作品が多いが、いろいろの定義はともかく、わたしは「呼ばれたひとの芸術」だと解釈している。つまり、ある日突然「誰かに(神様と言う人たちが少なくない)言われて」表現をせずにはいられなくなる。それは、絵を描く、布を裂いて織る、などさまざまだが、品田さんも「おーい!」と呼ばれた一人なんじゃないか。
その証拠に、できあがったものが最初から完成されたものになっている。誰にも習っていないのに。品田さんはあの夜、北海道の雪に出逢って、ORITOになったんだ。
 
0.9cm角の和紙を16枚折ってできあがるピアス・イヤリング。
 

 

女であること


品田さんを訪ねた同じ年(2017年)の6月、わたしは新潟にいた。ORITOが新潟県の雑貨屋さんで、ワークショップをするという。北海道に行くよりは近い! とわたしはすぐに新幹線の切符をとった。

店に入ると、すでに品田さんはそこにいた。
小さなピアスを作るというワークショップには、新潟市内や近所から5、6名の参加者が集った。ここで、わたしも初めてORITOの折りを体験した。
すべて表情が異なる2センチ角の小さな和紙を選び、折っていく。品田さんの頭の中では簡単に再生されているそれは、わたしには少々見えづらく、「あれ? ちょっとまってください」とか「いまのひとつ前の工程からもう一回!」とかヘルプを出しまくって、なんとか完成した。
ここでわかったことは、折るという作業の心地よさ。慣れることができれば、没頭する。一緒に和紙に触れているひとたちとの共通の感覚がある。穏やかにひとつになっているというのか。和紙の肌触りに、癒やされた。

新潟市内のゲストハウスに泊まるという品田さんについて行き、翌日は一緒に新潟市を満喫した。帰り、新潟駅までレンタカーで送ってくれる道中、品田さんになぜか女として生きることについて、質問していた。恋愛、結婚、母なる生き方について。
「女として、見られたくないっていうか。人として見られたいんですよね」
ハンドルを握りながら、きっぱりと品田さんは言う。このことが印象に残った。ORITOの“呼ばれた”使命がある。目の前のことに集中する。
 
ORITOのある日のWSの様子。


2021年12月、品田さんとわたしたちはこたつに入りながら和紙を折っている。品田さんは新たに「折りとデザイン」を立ち上げ、このプロジェクトを支える仲間たちとの顔合わせも含めて関西をまわる旅行をしていた。こたつがあるのは、その日泊まることになった宿だ。
品田さんが用意してくれた和紙に、折りを入れていく。
そんななかで、ふと品田さんが口をひらいた。
「ORITOになる前、勤め人だった頃、当時は会社の一コマとしか認識してもらえなくて。自分を出したくっても難しい状況でした」

赤い灯りがあわく手元を照らし、手を動かしながらわたしは耳をかたむける。

「個人として見てもらいたかったんです。まだ何者にもなっていないからこそ、世間に認めてもらいたい気持ちが強かったのかな。
仕事を認めてもらったと思ったらそうじゃなかった、ということが続いて……。それがすごく嫌だった。女性として見られることが辛くなっちゃったんです。それで、髪を短くしたり、化粧をしなくなったり、わざと太ってみたり、女性として見られないように、見てほしくないって意識的にしていました。
だけど最近、それはちがうぞ? って思ったんです。ORITOを通して出逢うひとたちはみんな、自分らしくあるんですよね。わざと“おばちゃん化”するのは、誰に対しての防御だったのかって。ORITOがつないでくれたひとたちに、気付かされたというか。自分をもっと大事にしようって思えたんですよね」

共に話を聞いていた仲間のひとり、ちーちゃん(「折りとデザイン」のメンバーのひとり。後述)は言う。
「わたしも彼女と一緒に20代を過ごしたから、悩みや辛さも同時進行で感じてきました。だけど、いま、彼女はアーティストになって、素晴らしいひとたちが周りにいる。そしてなにより、ORITOの作品に女性性が宿ってると思うんですよね。これまで抑えられていたものが作品にぐーっと込められているように感じるんです」

クリスマスが近かった。気がつくと、わたしたちの手元には小さなツリーができあがっていた。
 
「tree」の折り。(写真・筆者)



新たに立ち上がったプロジェクト「折りとデザイン」とは


改めて、「折りとデザイン」ができることになった経緯を聞いてみた。
「コロナで北海道も不安が広がっているときでした。いままでアトリエに遊びに来ておしゃべりをしていたひとたちとも会えないし、企画していた展示会も軒並み中止になってしまって。この閉塞感をどうにかしたいと、(2021年)3月末にえいやっと、ご縁のあった『三好焼菓子店』さん(北海道・夕張)の分室「黒い展示室」でORITOの個展を開いたんです。
真っ黒い部屋に、ORITOのランプシェードを飾りました。そのときに、“光”が差したんです。来てくださった方々はシェードの光のなかでリラックスしている様子でした。それぞれに長い時間滞在してくれて、いろんなおしゃべりもしました。
このときに、これは不要不急なんかじゃないんだって体感したんですよね。必要なことだぞって」
 
ランプシェード「雪影 yukikage」。


その空間のなかで、浮かんだ構想こそが「折りとデザイン」だった。コロナ禍で和紙産業も打撃を受けている。「折りとデザイン」は和紙産業を守り、和紙の需要を増やすことを目的にしたプロジェクトだ。
和紙が好きで、和紙に救われてきた品田さんは言う。
「わたしはこれをするために和紙を折れるようになったんじゃないか」
メンバーには、カメラマン、編集者、マーケター、医療福祉従事者、グラフィックレコーダー……ありとあらゆるスペシャリストが集まった。

現在動いているのは、以下2つのプロジェクトだ。

①和紙産業を知るための取材

和紙を守る! といきなり大々的にかまえるわけではなく、まずは和紙について教えてもらう。和紙のことを知る。
現在、北海道釧路市音別町で復活をしたフキから生まれた和紙「富貴紙(ふきがみ)」の調査を開始。2022年6月に収穫されるフキがどのように和紙になるのか、取材を計画中である。
今後、日本中の産地をまわるべく、ソダテタ読者のお力もお借りしたい……!
北海道・音別町で作られている富貴紙。繊維のあとと淡い緑が美しい。(写真提供・ORITO)
 

②医療福祉のためのORITO・WS

ORITOは「アール・ブリュット」みたいだ、と品田さんに告げるや、彼女は札幌でアート活動をしている福祉施設を見学していた。とにかくフッ軽(フットワークが軽い、の意)である。
そこから、品田さんは医療福祉の分野を勉強し、旭川で作業療法士をしている品田さんの弟・克哉さんに声をかけた。リハビリにORITOの折りを組み込めないか、と。
高齢者施設でチラシや新聞紙を折ってゴミ箱をひたすら作るというオリエンテーションを見たことがある。これを、個人の症例に合うような折りを考案し、病室に飾ったり、日常で使えるようにするのはどうだろう、というわけだ。和紙に触れることは癒やしにつながる。これは、わたしも体感しているからわかる。

もうひとつある。わたしが福祉の分野を広く伝えるためのフリーペーパーを作ったときのこと。品田さんに、フリーペーパーの折りを提案してくれないかとお願いしたことがある。それを、福祉施設で作業をするひとたちに仕事として依頼したいので、なるべく簡単な折りをお願いします、とも頼んだ。
そうして、できたのが、こちら。三角で直立する折りである。 
ORITOが折りを考案したフリーペーパー。全国に展開中。(photo by Naoto Kojima)

こちらは大分県で福祉用具を販売・レンタルする会社が発行するフリーペーパーで、品田さんが考案した折りは約束通り、大分の福祉施設に発注することができた。

「折りとデザイン」の活動は、とどまるところを知らない。
プロジェクトが立ち上がるときに描かれたグラフィックレコード(プロジェクト名称は当時のもの)。 
こちらは、大学生のグラフィックレコーダーが描いた。


「ORITOがひとつの文化になったらいいな、と思うんです」
品田さんは言う。
「歌舞伎みたいに次の世代が継いでいって、その世代の新しい解釈が加わって、世の中になかった癒やしとかちょっとした余白が生まれたら素敵ですよね」
1000年もつと言われる和紙。品田美里という存在を認めてほしいと希って始まったORITOは、もう個人の枠を超えた活動になった。次の100年には、どんなバトンを渡せるだろうか。


▼ORITOのHPはこちら
 

この記事のディレクター

編集・執筆/世界と社会をつなぐ

山本 梓

温泉に入ればほらご機嫌

#北海道 #art #和紙 #折り紙

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