これからお店はどんどんなくなる時代へ
コロナ禍、シャッターに張り出された閉店のお知らせ。お気に入りだった喫茶店は店を閉じた。幾度なく繰り返されるコロナの波で客足は減り、幕を閉じた喫茶店だったが、マスターはもう高齢だったし、時期を待っていたのかもしれない。
コーヒーのいい香り。喫茶店だけどカレーの美味しい店だった。味を残してくれる人がいればいいのにという声はあったようだが、そんなにうまい話はないだろうとあきらめていた。まちの風景が変わり、さみしさと当時に、自分にはどうしようもないやるせなさを感じた。
継業のある世界
お店や企業を、継いでいくことを「継業」と呼ぶ。家族が継ぐこともあれば、家族以外の誰かが継ぐいケースもある。「継業」が、就職や転職、起業と同じ1つの選択肢になる世界を目指し、「ニホン継業バンク」をスタートしたココホレジャパンの浅井克俊さんにお話を聞いた。

127万社が日本からなくなる
新型コロナウィルス感染拡大の影響を受けなかったとしても、日本の中小企業はどんどん減っていく。経済産業省と中小企業庁によると2025年、中小企業では経営者の約60%が70代となる。そのうちの半数の127万社では、後継者が決まっていないと言われている。団塊の世代が、どんどん引退していくタイミングがきた。このままだと127万社が日本から無くなってもおかしくない。

浅井さんが自ら作った「ままチョビ」
浅井さんは、横浜市で生まれ。大学卒業後、音楽専門誌などを手がける広告代理店に入社した。その後タワーレコードに転職し、コーポレートボイス「NO MUSIC,NO LIFE.」の制作、セールスプロモーションやライブ制作を行った。
2012年10月、瀬戸内市で地域おこし協力隊となる。移住のきっかけとなったのは、東日本大震災だった。当時、部長職だった浅井さんは、ストレスの多い生活を送っていたと振り返る。震災後、住む場所や生活を一転し、社会起業家として生きていくことを考え始める。タワーレコード時代に社会課題には関心があり、野外音楽フェス「フジロックフェスティバル」ではNGOと環境活動を行い、ごみ拾い活動をするNPO法人「グリーンバード」のスポンサーになるなど、CSR活動にも力を入れていた。
移住先となった瀬戸内市は、岡山市に隣接する人口約3万5千人のまち。瀬戸内海に面していて、牡蠣の養殖などで知られる穏やかな気候の場所。浅井さんは瀬戸内市に訪れたことはなかったが、瀬戸内国際芸術祭の会期中には、瀬戸内の島々の雰囲気を感じていた。また、岡山県は地震が少ないことや、豊かな自然環境で子育てをすることにも惹かれ移住に至った。
地域おこし協力隊になった浅井さんは当初、耕作放棄地や空き家の課題に着手してみたが、キャリアを生かし、地域の魅力を広告することへとシフトしていく。2013年には広告会社「ココホレジャパン」を設立。淡路島のタマネギをPRする企画「おっタマげ!淡路島」をはじめ、ポスター、ウェブメディア、雑誌などを制作する。
そんな中、浅井さんは地域で獲れる「ままかり」に目を付ける。標準和名を「サッパ」と呼ばれるニシン科の魚で、体長10センチ未満の小魚。岡山では「ままかり」と呼ばれ、酢漬けにしたものが郷土料理として食べられている。
自社の地域おこしプロジェクト「ままかRe:Project」として、「ままかり」をアンチョビ風にアレンジした「ままチョビ」を商品開発し、製造・販売をした。食材は、瀬戸内市のマッシュルーム、レモン、オリーブを使い、地域の可能性を広げる企画としてスタートした。
「ままかり」は小さな魚なため、地域の女性が一つ一つ手作業で「ままチョビ」を作っていく。瀬戸内市で使っていない施設を借りて工場とし、販路も広げていった。地域を盛り上げるプロジェクトは、最終的には地域の人に運営してほしいと思い、商工会などにも相談してみたが引き継いでくれる人が現れなかった。

地方創生の波がやってきた
2014年、石破茂さんが地方創生大臣に就任。「地方創生」を旗印に、1兆円を超える国家予算がつけられるようになった。多くの地方都市に、東京からやってきた広告代理店が、「地方創生」の打ち上げ花火をどんどんあげていく。花火がどんなに見栄えが良くても、地方は創生されなかった。
ココホレジャパンは、2017年に雑誌「TURNS」のリニュアル第1号を担当した。特集は、「つぎつぎ、継業」。京都の老舗銭湯、広島の和菓子店、鳥取の酒蔵など全国の継業した事例を紹介している。同誌を作る中で、浅井さんは雑誌の限界を感じたという。「どんな良い雑誌を作っても、社会は変わらない。知ってくれる人が増えることはうれしいが、後継者はみつからない。課題は解決されない。もっと根本的で、深いアクションをする必要がある」と考えるようになったという。

手数料ビジネスではないことが、可能性を広げる
浅井さんは、広告代理店に勤めていた頃に感じていたことを話してくれた。そもそも広告代理店は、クライアントからお金をもらい、ニーズにこたえるのが仕事。予算のあるアーティストの広告はできるが、浅井さんが好きなインディーズバンドは予算がない広告できない。音楽の良し悪しには関係なく、予算があるかないかでできる仕事が決まってしまう。
地域の店や企業は、多くは引き継がれずに廃業してしまう。浅井さんが「ままチョビ」の後継者探した時、探す方法すらないことに気付かされた。一般的に継業の手段としては、「M&A」がある。「M&A」とは、事業を買収もしくは合併すること。間を取り持つ事業者がいて、制約金額から手数料をもらうことで継業が行われる。制約金額が大きければ大きいほど、手数料も大きい。このビジネスモデルでは、事業価値の小さな店や企業は、「M&A」の対象とはならない。事業価値は小さくても、残したい店、残すべき事業はあるはずだと浅井さんは考える。
「継業バンク」は手数料ビジネスではない。事業価値が高い、低いで継業のチャンスを失うことはない。自治体が、担い手を探す人や事業を掲載するプラットフォームを作る。その点で「空き家バンク」に似ている。農家さんや伝統工芸、地域のお祭り、継いでほしいと望むものであればなんでも掲載できる。掲載料はかからない。
「ココホレジャパン」は自治体のプラットフォームの運営をお手伝いする。行政の職員さんは、まちの人の声を聞く。担い手を探している人を探してくる。探してきた人に浅井さんらがオンライン取材を行い、担い手募集の記事を書く。掲載件数に上限は設けていないので、要望があれば何件でも掲載できる。「継業バンク」に登録して見ている人、すなわち継ぎたい人は現在、約2000人。主に三大都市圏に住む20代〜50代の人たちが読んでいる。

継業はまちの課題
金目鯛の水揚げ量が日本一をうたうまちでは、金目鯛の仲買業者に後継者がいないという。詳しく話を聞けば、仲買業社だけでなく、漁師さんにも後継者がいないことがわかった。どちらかの後継者が見つからないことで、下田市から金目鯛は消えてしまう。金目鯛を食べに来る観光も無くなるし、ふるさと納税も無くなるだろう。
「担い手が見つからないのは、仲買業者や漁師さんだけの課題だろうか。まちから産業が消えてしまうと考えれば、まちの課題だととらえることが大切。危機感を持った自治体が、プラットフォームを作っている。自治体のアクションが、継業のカギとなっていく」と。
自治体が「継業バンク」を運営するメリットは大きい。担い手を求めているのは、高齢者であることが多い。インターネットを使ったサービスだけでは、届きづらい。自治体の職員さんは、あらゆる事業者さんと対面で対応することができるので、無理なく始められる。地方都市になればなるほど、親密度や信頼度は高いはず。

地域課題ではなく、社会課題を解決せよ
「継業バンク」でこれまで掲載した記事は17件。担い手が決まったのは、5件。掲載したのち、「継業バンク」のサイトを見た家族が継いだというケースもあったという。地方都市へ移住して、継ぎ手になるというケースを想定しているようにも見えるが、同じ市町村に住んでいる人、隣の家の人が継いだってかまわない。継ぎたい人が見つかることが1番の目的。現在は、7つの地域で「継業バンク」を公開している。
浅井さんは、継業を社会課題ととらえている。地域の課題解決は、スーパー公務員やすごい地域おこし協力隊が解決したともてはやされてきた。しかしながら、特定の人物がいて解決できる地域課題をではなく、全国の後継者がいないという社会課題は、これでは解決されない。「どんなにリソースがなくてもどんなにノウハウがなくても、後継者が見つかるという仕組みが、社会課題の解決する」と。
継業をもっと自由に
これからの継業はさまざまな形があっていい。事業の後継者となる人もいる。弟子入りして技を伝授することもある。インターンシップとして、副業として一緒に活動することもある。良いことばかりではない。黒字化されていない事業もある。伝統工芸のような文化的価値があっても食べていけないようなこともある。
しかしながら、M&Aのように強く大きな存在が、弱く小さな存在を飲み込んでしまうような仕組みではない。浅井さんは次のような例え話をしてくれた。
「一人のシングルマザーがいたとする。生活コストの高い都市部に住み、保育園に子どもを預け夜遅くまで働く。一生懸命、子どものために働くが、子どもと過ごす時間はとても短い。この女性が田舎に引っ越して、小さな喫茶店を継業する。お店には子どもも一緒だ。この女性にとってどちらが自己実現しているだろうか。強く大きな存在でなくても担い手になれる。まちにとっても、憩いの場である喫茶店を失わずに済む」

継業のポジティブとネガティブ
例えば、家業を継ぐことも継業だと思う。家業を継ぐ話は、なぜかネガティブに語られることが多い。嫌だけど、仕方なくというニュアンスがこれまではあった。継業も簡単でない部分はある。人柄や考え方も含めて折り合いがつかないこともある。不動産などの資産はあっても事業が赤字な場合もある。
しかしながら、継業にはポジティブな部分もある。ゼロから作る必要はない。事業を引き継ぐのでイニシャルコストはかなり低い。コストだけでなく、創業するとなると、生み出す力はとてつもなく大きい。また、認知度や信頼も引き継げることもある。継業は就職・転職や起業すると同じ、働き方の選択肢になる日が来ると浅井さんは言う。

日本が変わるには
「継業バンク」の目標を浅井さんに聞いた。2025年までに廃業すると言われている企業数は127万社。日本にある1741の自治体のうち、1000の自治体が「継業バンク」を利用し、12件の継業(年間3件ペース)が進めば、2025年までに1万2千件の事業が引き継ぐことができる。「この数は全体の1パーセントにしか過ぎないかもしれないが、1000の自治体で継業がまちの課題であるというマインドに変化し、社会全体の空気が変わっているはずだ」と浅井さんは話す。
コロナ禍、閉店してまった喫茶店。閉まったお店のカレーはもう食べることができない。継業がまちの風景を残し、新たな価値が生まれるきっかけとなる。浅井さんの話を聞いて、わくわくする近い未来を想像することができた。
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