太陽と月に愛される「日田シネマテーク・リベルテ」映画館主・原茂樹さんについていく

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ここは、大分県日田市のとある温泉である。日が沈みかけており、浴場の開かれた窓が夕陽の色に染まっている。赤っぽく、さらりとしていた湯。母子のやりとりやおばちゃんたちの近況報告を聴くともなく聴きながら、ぬくまる。
ほかほかして脱衣所から出ると、小学校中学年くらいの男の子が入口近くのベンチで横になっている。番台の女将さんが言う。
「眠くなったんだねえ。お母さん、もうすぐ出てくるよ」
しばらくすると、とつやつやのお母さんが出てきた。
「おまたせー、あらやだ。寝ちゃってるの? この子(妹)のしたくがあるからちょっと待ってー!」
 

***

こんな人々の営みの中にどぷんと浸からせてくれたのは、この度の主人公・原茂樹さん。温泉は、このひとの導きでもって入ることができた。
日田市にある「日田シネマテーク・リベルテ」。映画を観に来たはずなのに、ここの映画館主・原さんの話に耳をかたむけるうち日田のまちのことをより知りたいと思っている。

大分県の西側に位置する日田市は、福岡県と熊本県に接する人口約6万4000人のまちである。豊かな森をたたえ、林業や木材産業が発展。江戸時代は、幕府の直轄地・天領がおかれ、独自の町文化が繁栄した。
材木などの物資を江戸まで運ぶのに活躍したのが、三隈川(みくまがわ)だ。「水郷ひた」と言われる所以だ。

 

写真はすべて、原茂樹さんによるもの。

三隈川を散歩する。川幅も広く、雄々と流れる三隈川沿いを歩いていると、途中、向こうから同じように散歩中と思われる女性とすれ違う。挨拶をする。「こんにちは」と返ってくる。たったこれだけのことなのに、特別なギフトをもらったような気持ちになる。

「日田には、三隈川があるから人が集まってきた」と原さんが教えてくれた。そこから営みが生まれ、文化が醸成していく。原さんは三隈川みたいなひとだ。

さて、映画館「日田シネマテーク・リベルテ」を原さんは前任の支配人に頼まれて経営・運営をするようになった。
すでに閉館が決まっていた日田の映画館。当時、営業職で九州をまわる仕事をしていた原さんは、アクセスの利便性からたびたび実家に帰省をし、そこから九州全土をまわっていた。日田に帰るとこの映画館にも足を運んでいた(この映画館関係者たちをどんなに励まし、元気づけていたことだろう)。まちの財産であるフィルム映写機のことも考えるようになってゆく。それでも、まさか自分がその映画館の引き継ぎを依頼されるとは! 思いもよらぬことと一度は断ったが、「僕が首を横に振れば故郷から映画館がなくなってしまう」という事実を突きつけられた。故郷から文化がなくなる未来をどうしても受け入れることができず、気がついたときには復館にむけて動き出していた。
2009年、「日田シネマテークリベルテ」として復活。当時のポスターの文章を引用させてもらいます。


――人口7万人規模で「映画館があるまち」は、実は全国にもうほとんど残されていません。昔はどこも必ず映画館があり、映画文化がそこに暮らす人々の心を潤していました。気づけばいろんなバショが、モノが、コトが、消え去って「わがまち」という実感さえうすれてしまいつつある。そんなまちが今、日本各地にあります。失ってからしかわからない「わがまちに映画館がある」ことの大切さ。わがまちで、スクリーンという窓から「世界」を観る。そしてまたわがまちの日常へともどる。ひょっとしたら、昨日と同じ景色が少しだけ違って見えたりするのかもしれません。ぜひ、ご夫婦で、お仲間と、同じまちに暮らす誰かとご一緒に、「まちの映画館」に、集い合ってください。もちろんおひとりでも。これからも日田が「映画館のあるまち」であって欲しいから――。

原さんは「世界を観る」と書いた。わたしは、「世界と社会」のことを思い出した。
生きている人間で構成される「社会」。一方「世界」はこの世あの世も妖怪も動植物・昆虫などの生物(もちろん人も)、宇宙もぜーんぶ含んだもの、とわたしは考えている。社会をひっくるめたあらゆるものすべてが世界、というイメージだ。
映画は、社会でちいさく縮こまってしまったり、凝り固まってしまったりしたわたしたちを、無限の世界へ連れて行ってくれる媒体なのだ。それが、“わがまち”にある奇跡。


原さんの背中を見ながら木階段を一段一段上がる。息が切れる。途中、木階段の木杭と丸太はなくなり、おっとっと、と安定を失いながら、水道局の設置した巨大な貯水タンクの横をカニ足で進む。急にインディー・ジョーンズの世界。原さん……一体どこへ? と必死について行くと、鳥居が現れた。「久津姫神社(ひさつひめじんじゃ)」と書いてある。なんでも、この久津姫は古代史の原点と言われる女神だそうで、邪馬台国の卑弥呼ではないか、という説もあるそうだ。日田が邪馬台国……? 突然、1800年前にタイムスリップ。
さらに山道を上がると、目の前が開けて空が見えた。大きな岩が対角線上に置かれていて、ストーンサークルみたい。奥の石碑には「景行天皇御腰掛石」と書かれている。
景行天皇はヤマトタケルのお父さん、と原さん。このひと本当に原さん? という不思議な感覚になる。時空を越えてやってきた使者なのでは……。
ここで久津姫と景行天皇は会い、石に腰掛けて話したとされる。
「話し合った、というところがいいんよね」
石に腰掛けてみる。女と月のまちが、男と太陽のまちになる。話し合いをもって、お互いが大きな変化を受け入れたのかしら。対話をもって、時代を変えていった先人がいたのかもしれない。

カニ足でインディー・ジョーンズをしながら、来た道を戻る。クルマを停めた公園まで出てくると、ベンチに高校生がならんで座っていた。キミたち、すごいところでデートしてるね。
……無事に、現代に戻ってこれました。なんだこれ、1本分の映画を体感したのかしら。


遺跡や旧社地めぐりをライフワークにしている映画館主って面白いでしょ、と原さんは笑う。
神社・寺・教会は、かつての人々拠り所であると同時に、アートホールであった。フランダースの犬の少年ネロが最期に観た絵も、一休さんがトンチでしばりあげた虎の絵も、仁王像も狛犬も、すべて芸術作品である。いつでも誰でも足を運ぶことができて、心配や憂いからひととき開放してくれる。余白のような場所。それは、日田リベルテも同じだ。

「僕は、完璧な人間なんていないよと伝える係。ひとは、だらしないところもあるし、どうしようもないところもある。映画を観ることは、人間を知るってことなんだと思うんよね。そして、許すこと」


自分の中の感情の正体がわからないとき。淋しいとき。もうすこし元気になりたいとき。
映画館に足を運ぶ。

映画館に入ると、安心する。凝り固まっていた自意識や焦りがバターのように溶けていく、そんな心持ちになる。上映時間は、わたしと映画だけのものだ。

ブザーが鳴り、スクリーンが大きくなる。暗闇のなかに一筋の光が差す。そこにひとは、「リベルテ(自由)」を観る。

 

〈参考〉
『現代資本主義における地域の持続的発展と真正性の装置としての映画館―「日田シネマテーク・リベルテ」(大分県日田市)を事例として―』岩本洋一(久留米大学 経済学部・文化経済学科 准教授)著
『nice things.(issue. 66)』「ひたむき農園 上映中」原茂樹 文・写真
『nice things.(issue. 67)』「ひたむき農園 上映中」原茂樹 文・写真


日田シネマテーク・リベルテ


 

この記事のディレクター

編集・執筆/世界と社会をつなぐ

山本 梓

温泉に入ればほらご機嫌

#九州 #大分 #映画館 #継業

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