DV被害者が逃げ隠れせず堂々と社会復帰に向けて活動できるシェアハウス事業を地方で

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二星星(漫画家、女性シェアハウス星の虹代表)
1985年 鳥取県倉吉市出身
2015年 漫画となる傷害事件発生、翌年に民事裁判開始
2019年 漫画発売、以降、書店への飛び込み営業約500件、ラジオ番組出演、メディアへのインタビュー出演や、東京都とその近郊にてDV講演、ジェンダー講演など精力的に活動。
2022年12月1日 山梨県富士吉田市にて 女性シェアハウス ⭐🌈星の虹🌈⭐ を開業予定

aware公認認定 デートDV防止プログラムファシリテーター、DV被害者プログラムファシリテーターなど取得済み
来年度、山梨県富士吉田市社会福祉協議会講話メンバー参加予定

 

 

「DVの加害者が比較的普通に暮らしていて、反対に被害にあった側が、逃げ隠れして暮さないといけない今の環境は(二次三次被害からの身の危険を考えると)しょうがない部分もあるとしても、やはりおかしい。」

 

インタビューの最後の方、雑談的に話している中で今回の主人公であり漫画家の二星星(にぼしぼし)さんが語った言葉に私はハッとさせられた。

 

そう、DV被害者をサポートするプログラムとして、現在も保護シェルターや被害者の自立支援、社会復帰支援のステップハウスなど様々なものが存在している。しかし、そのプログラムをうける為には、どうしても被害者自身がある程度の行動制限を行う必要があるのだ。

 

例えば、自身が滞在する保護シェルターの場所を近親者を含む第三者に明かせない、自分の携帯電話の使用禁止、一定期間外部との接触の禁止、仕事を探す際に仮名の使用を行うなどがそれにあたる。

当人の身の安全はもちろん、同様にプログラムを受け同じ施設を使う他の被害者を二次被害から守る上でも致し方ないだろうと言える。

 

それぞれで事情や状況は様々で、その中で慎重を期す必要があるからだ。

 

しかし果たして、ずっと逃げ、隠れているその状況下でいることが被害者の為になるのか。

そこに疑問を持ったという。

 

現住所を明かせなかったり連絡手段の都合もあり、旧来就いていた仕事に早々に戻ることは難しく、一方で仮名を使って新しい仕事に就くことも当然難しく、所属していたコミュニティからも分断され、携帯電話が使えないことで現代社会での各種のサービスを受けづらくなる。

被害者の安全を守ることはもちろん重要だが、
被害者の側が自由を制限されて生きていかなければならない時間はできるだけ短い方が良い。

 

『被害者である状態をできるだけ早く脱却し、少しずつ社会復帰をしていき、いわゆる普通の社会で誰の脅威からも怯えることなく自立して暮らしていけるようになることが理想だろうと思うんです。』と彼女は言う。

 

 

もちろん現行のサポートを行なっている行政側も問題点は理解し、各サポートプログラムも改善されつつあるが、なかなかうまく行っていないのが実情のようだ。

 

そんな中で冒頭に書いたような疑問を二星星さんが抱くことは至極当然と言える。

 

話を聞いていくうちに
『うまい中間が無い、って感じなんだと思います。』という、今回のインタビュー以前の、事前取材的なヒアリングの際に彼女と初めてお話させていただいた時の言葉を思いだしていた。

その言葉を借りるなら、彼女はその本当に最後の部分、被害者という状態から社会に復帰する所との間に足りていない、本当の意味で社会に帰るその足がかりを作るために二星星さんは考え、いま新しい挑戦に取り組んでいる。

 

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今回の主人公である二星星さんは漫画「ダメ彼を訴えます!!~殴られたので裁判しました~」(ぶんか社)を描かれた漫画家さんでもある。

 

 

インタビュー場所のカフェに現れた二星星さんはイメージしていたよりも小柄で華奢な女性だった。
素敵な笑顔で受け答えしつつ、その言葉一つ一つをまさに自分の言葉としてはっきりとした口調で朗らかに穏やかに話される方という印象を抱いた。
二星星さんは、歴史的な趣のある白壁群で有名な鳥取県倉吉市で生まれ育ち、18歳の頃に親もとを離れ東京に出たという。

すでに活発そうな赤ちゃん

 

 

二星星さんは幼い頃は自身のことをいわゆる落ちこぼれで、問題ばかりおこしていた子だった、と笑顔で振り返る。
「やんちゃでした。笑 勉強とかも全然できない子で、いわゆる今で言う発達障害みたいな扱いでカウンセリングとか受けに行ってたり。集団生活とか苦手で変わった子って言われてました。授業中も絵を描いたり折り紙とかばかりして勉強しないで育った感じです」

 

 

ーーー奔放といった感じだったのですね。笑

 

『そんなんだったので高校も定時制の高校に行って、やっぱり勉強もせずに市民劇団に入って発散するとかが自分には合っていて、親も地元で居るよりも外に出ろということで高校卒業の時に東京に出された、という感じでした。』

 

絵や演劇、音楽など表現活動にずっと興味があった

 

ーーー出たではなく、出された?

 

 

『そうなんです。高校の卒業前にあれ書けこれ書けと幾つも書類を書かされて、気がつけばそれが就職の手続きで、卒業と同時に親に東京に送り出されてお寿司屋さんのホールで働くことになったんです。送り出してもらった、ですかね。笑』

 

ーーー東京ではその後どういった生活を?

 

『最初に勤めたお寿司屋さんでは一年くらい働きました。芸能人とかも来るような高級なお店で、寮生活をしてたのですが寮の人間関係とか色々あって辞めて出ることになったって感じです。そこから履歴書に書ききれない位色々な仕事をやってみよう!と思って、色々やりました。今は37歳なんですけど、今までもずっと雇われて働くっていうのが苦手なままで、今は介護の仕事もしています。』

 

ーーー創作活動の方はどうだったんでしょう?

 

『東京でも劇団に入って活動していたんですけど、なんか違うなという感じのことを繰り返してのらりくらりやってて、30になった時に漫画になった彼氏に殴られて鼻の骨をおって、民事裁判を起こす事になってそれをきっかけに漫画を描くって感じです。』

 

ーーーそれまでにも漫画は描かれていたんですか?

 

『周りからは人生が面白いから漫画家になったら良いよと勧められてて、元々絵は好きだったんですけど漫画を読んだこともなくて、興味もなかったんですよね。でも事件が起きたことで、これを発信するには何が良いかな?と考えたとき、漫画家かなぁと。』



 

 

ーーー初めて描いた漫画を編集部に持ち込みしてそのままデビューされたのですか?

 

『実は、出版社が掲載していた漫画家の募集要項に「なんでも持ってきてくれて良いですよ!」と書かれていたので、それをそのまま鵜呑みにして、ひとまず四コマ漫画を描いて持って行ったんですよ。まだ裁判も始まるかどうかの頃で、裁判の漫画も当然描けていなくて。そしたら編集者の人に「何しにきたの?」って言われて。そりゃそうですよね。笑 でもこれこれこうでって事情を説明して裁判の漫画が描きたいんですって伝えたら「わかった、じゃぁ俺が漫画を教えてやる」って言って担当編集者になってくれたんです。』

デビューまでの一年半で漫画の描き方を覚えていった

 

ーーーすごいストーリーですね。

 

『私は昔から動いてから考えるタイプなんです。笑 決めたらとにかく動く。元カレに殴られた次の日には「泣き寝入りはしないぞ」と決めて法テラスを頼るのですが弁護士さんに起訴されてから裁判起こした方が良いと思いますよと言われて、事件が現行犯逮捕じゃなかったこともあり起訴まで一年近くかかって一年後に裁判を起こして、裁判自体も長引いて二年半かかったので、事件から三年半後に裁判が終了するのですが、その頃にはもう漫画が出せる体制が整ってました。笑』

 

ーーーその間に漫画の修行をされたのですか??

 

『最初についてくださった編集者の方が講談社のイブニングという漫画雑誌の方で、裁判が始まると同時位に漫画の勉強も始まったんです。それで一年半くらい漫画の描き方を教わって、どうにかこうにか漫画が描けるかなぁくらいになったのですが、その担当者の人がイブニングを離れるってことになって、そこでまぁ漫画がイブニングと合わないよねって話にもなって、ぶんか社さんを紹介されて…持っていったらすぐ出しましょう!ってなって。半年でなんとか160ページ全て書き上げて持ち込みから一年後には本が出版されてました。』

ーーーなるほど。トントン拍子のようにも聞こえますが…

『もちろん色々ありましたし、大変でした。二年半裁判が続くわけですからね…。まぁ詳しくは漫画に全部書いているのでよかったら読んでみてください!』

 

 

ーーー全てオープンに漫画に書かれているわけですね?

『私、隠さないタイプで。笑 おかげでそのオープンに描いた漫画がきっかけで実は私もっていう話とか、SNSを辿ってきてくれて私のように裁判をしようか迷ってますって人に出会ったりしました。』

漫画に関する講演会も多い

ーーーなるほど、そこででも次の漫画を!とならずに新しい事業を、となった理由はあるんですか?

 

『色々と話を聞いていくうちに、表に出てる被害者だけでなく表に出ない被害者の人がいるのはもちろん、今の行政の支援対象からは漏れている私の事件のような恋人間でのDV被害者もたくさん居るのがわかって、これは漫画を超えて支援の方に軸足を移した方が良いのでは?となんとなくですが思い始めてたんです。で、ちょうど自分自身もなんとなく移住のことが頭にあって、ちょうど山梨に移住を促すラジオ番組があったので、なんとなくそのラジオを聞いていたら、現地見学ツアーみたいなのがあって、なんとなく応募してなんとなく参加したんです。』

 

 

ーーーなんとなく、が多いですね。

 

『そうなんです。笑 動いてから考えるタイプなので。 後々お世話になる雑誌TRUNSのプロデューサーである堀口さんの出ているラジオだったんですけど、そんななんとなく参加したツアーが山梨県の富士吉田に行くことになるのですが、道中に他の参加者の人たちと話す中で自己紹介的なのがあって、私の話をしたところ他の女性から私も被害にあった事があるって言われて、よくよく話していったらツアーに参加してた女性4人のうち3人がDV被害者で、こんなに確率高いんだ!と思ったんです。』

 

 

時にはご自身もラジオに出演することも

 

二星星さんがラジオで聴かれたのは、デュアルでルルルという以前放送されていた番組で、山梨県と、地方移住や地域活性に詳しい雑誌のTURNSさんがお送りするライフシフトのヒントをお届けする内容の番組だったとか。

 

何度も富士吉田に通いさまざまな物件を見て回った

ーーーそれはかなりの確率ですよね?

 

『そうですよね。それでそのまま富士吉田についたんです。富士吉田は空き家活用が盛んな町で、色々な活用事例を案内してくれたりいろいろ話しを聞いてたんですが、ふと降りてきたというか、気になって「DV被害者支援の活動に空き家が活かされている事例はありますか?」と聞いたんです。そうしたらそういった事例は今のところないと。じゃぁ私がやろう!となったんです。』

 

ーーーえ、その日その時ですか?

 

『そうなんです、それまで何かの形でDV被害者支援ができるといいなとは考えていたものの、今回の事業のような事はその日まで全く考えていなかったですね。笑 でも思い立ったそのその日のうちに地元の人に「シェルター作るのはどうですか?」と聞いてみたんですよ。そしたら好印象で。富士吉田はそこまで積極的なDV被害者への支援をしていなかったこともあり、これはいけるかもしれないと。』

 

ーーーそれがいつのことですか?

 

『去年(2021年)の11月ですね。それで12月にはもう一度富士吉田を訪れて市役所の人を紹介してもらって、相談したら「いいと思います」と言われたので物件を探し出して…事業計画やらを考えたり、相談したりで今年(2022年)の12月にはもう開始することになりました。』

 

ーーー行動力の塊ですね。しかし一人で活動するのは大変では?

『サポートしてくれる人たちもいます。さっきお話しさせてもらった TURNSの堀口さんもそうですし、富士吉田の人も友人たちも助けてくれています。事業的な事をサポートしてくれる企業もあるんです。』

 

シェアハウスを行う物件

ーーーなるほど、どういった事業になるのか、もう少し具体的にお聞かせ願えますか?

 

『DV被害者たちの自立の場所を作りたいなと思っています。シェルターを利用していない人、利用できていない人や、利用してたけどDV被害のおかげで貧困に陥ってしまった人とか、行政がサポートできていない部分を全て拾いたいです。わけを持った人や緊急性が高い人にはシェルターに入ってもらい、その次に自立に向けて滞在できる場所として状況が少し改善した人にはステップハウスという選択肢があります。でも、この次がいきなり社会復帰なんですよね。ステップハウスはいいところもあるのですが、自立支援をサポートする部分がどうしても弱い。例えば就業や職能のサポート、コミュニティへ溶け込むサポートなどが力強いものではないなと。』

すぐ横に川が流れ、せせらぎがBGMだという

ーーーそこを、どういう仕組みで解決していくか、が今回の事業のきもですか?

 

『大きく違うところは二つあると思うんです。一つは被害者を隠さないということ、もう一つは隠さないからこそしやすくなる経済活動のサポートですね。

シェルターとステップハウスは無料提供していることも多かったり、国の補助金や、自治体のサポートがあることもあります。だからこそ助かる部分も大きいのですが、その反面でどうしても色々と制限も多く、経済活動を持っての社会復帰にはなかなか繋がりにくいといったところがありました。

それを解決していくためにも、被害者を隠さないというスタンスが大事になってくるなと。そもそもDVは加害者が悪いのであって、被害者が逃げて隠れて過ごすのはおかしい!とずっと思っていて、変えていかなきゃいけないなと。オープンにできる被害者支援の場所、地域に根ざして地域に溶け込んでいける支援事業をできないかなという話を既に被害者支援に携わってり団体の人と話すと、皆さん同じような課題意識を持ってらっしゃるのがわかったんです。じゃぁ私がそれをやろうと。オープンにすることで新しい仕事にも就きやすくなりますし、元居たコミュニティにも復帰しやすくなる』

 

 

ーーーなるほど。昨今で言うと随分とリモートでお仕事もできるようになっていますし、東京を離れたとしても復職も可能かもしれない。しかも一人で暮らすわけでないので心細さも軽減でき、支え合って生活ができると。

 

『もちろん良い面ばかりではなくて、家賃収入に頼るシェアハウス事業と、持続の難しい支援事業の組み合わせで運営していくのは難しい。しかも首都圏以外でやるのは尚更。これは社会への実験であり提案だと思っていて、あれこれ試して最適化を図りつつ持続していくことに意味があるだろうなぁと。』

お手製の紙芝居で講演活動も盛んに行われています

ーーーその「試して最適化を図りつつ」の所が経済活動のサポートというわけですね。

 

『はい、おかげさまでこの事業はもう私だけの実験的事業ではなく、地域の皆さんと共に進める挑戦にしていただいていると思っていて、というのもこの事業を始めようと決めて以降、何度も富士吉田に足を運び、支えてくれる多くの友人知人が増え、市役所の人、県庁、社会福祉協議会の皆さんとの連携では、地域への広報活動を積み重ねさせていただき、地元の皆様からご賛同ご提案いただく機会も増えてきました。そんな中で地元企業さんとのコラボ事業やDIY活動や農業領域への参加などで被害者の経済活動を推進できる可能性が見えてきています。個人的にも大家業以外にも山野愛子どろんこ美容のエステティシャン資格取得を目指していて、シェアハウスの一部をエステサロンに改装しての事業展開を考えています。』

絵を描くという自身の得意分野を活かし地域に経験や考え方を伝えていく

 

ーーー二星星さん個人と地域が一丸となって、という感じですね。

 

『本当にありがたいことに!来年度、山梨県富士吉田市の社会福祉協議会で講話メンバーとして活動し、福祉教育プログラム冊子作成をすることにもなりました。沢山の方の協力や助けがあって進んできたことに感謝しかないです。移住したら感謝を返していきたいと思っています。今回のシェアハウスを核にして、そこで培ったノウハウを活かして被害者女性以外の人に向けてのシェアハウスも増やし、利用者や移住者を増やすことで、地域の人口増加や経済効果にも少しでも寄与できればと思っています。』

 

 

ーーー事業の方向性はわかりました。これをうまく回せるようになったら横展開をお考えということですね。

 

『希望としては着実に一個二個と広げて行きたい、と思っていますけどけど、やってみないとわからないので。笑 でも、立ち上げて成功させる事ができたら、このモデルを全国の皆さんに真似をしてもらえると、全国でDV被害者の人が救われるようになると思うので、うまくいったら真似してもらいたいです!』

 

 

 

ーーーありがとうございました。最後に全国のDV被害者の方や社会に伝えておきたいこととかありますか?

 

 

『そうですね…。ちょっと難しいかもしれませんが、自分をいつまでも被害者って思わないで欲しいなと思っています。SNSなんかでDV被害者のコミュニティをのぞくと、被害自慢が繰り広げられていることがあるんですよね。辛い気持ちを誰かに共有したい時もあると思うのですが、でもいつまでもそれって違うよねって。被害者って名前をきちんと捨てて、過去にして、自分で前に進んでいかないと、自分をずっと被害者と思って生きていくことになりかねないから。私は私自身の生き方を見せることで、こんな事があっても笑って生きていけてますよ、という事を見せていきたいなと。』

 

ーーーDV被害だけでなく、DVを生む今の日本社会自体にも何かありますか?

 

『日本はDV被害への支援、ジェンダー理解が遅れてるんだろうなと思っています。私自身も子供の頃から男女が分けられてるのが違和感があった、男の子はこういうものだ、これは男の子はやらないものだ。女の子はこれをやっちゃいけないみたいなのがまだあるのだろうなと。DVはジェンダー平等が果たされていないいわゆるジェンダーギャップやジェンダー差別から始まるとゆうのが根源にあると思っていて、このあたりの理解を進めていけたらというのと、DVに関しての法整備をもっと増やしていけるようになるといいなと思っています。あとは支援策の認知度向上ですね。』

 

ーーー支援策を知らない人が多いとお考えですか?

 

『そうですね、シェルターの存在でさえまだまだ一般的ではないと思います。それに私自身も元彼に殴られるまで法テラスと言う無料や安価で受けられる弁護士さんの相談窓口も知らなかったですし、「内容証明郵便」という仕組みを知らない人も多いですね。裁判は長く続くし大変だしで向き不向きもあるだろうから内容証明郵便だけで決着がつくならそれでいいですし…そういった事を知ってもらっていったりもしたいです。』

 

ーーー個人的なメリットもありつつも、社会的なメリットにもつながることだと思います。

 

『そうですね、でもまずは個人の幸せですよね。あとできるだけ個人的にも社会的にも、泣き寝入りはしないでほしいです。乗り越えて、笑って暮らしてもらいたいと思うとどうしても。そういった思いもこの事業と共に、引き続き講演会やラジオ出演や漫画やで伝えていけたらと思っています。』

 

 

 

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途中までは「行動してから考える」と自身で語ったその行動力に呆気に取られ続けるという印象のインタビューだったものの、インタビューが進むにつれてその行動力によって起こってきた実体験とさまざまな人びとや町との出会いや交流が彼女の中で思考され一つになっていき、揺らぎない意志とビジョンを持った価値のあるアクションにつながったのだなと深く感銘を覚えることとなった。

 

ぜひ、ソダテタでも事業の経過またご報告させていただきたい。




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この記事のディレクター

アーティスト/マドリスト/プランナー/うどんの人

森岡 友樹

ちょっとおせっかいなくらいでちょうどいい。

#富士吉田 #山梨 #被害者支援 #シェアハウス #地域活性 #移住

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